Yucky's Tapestry

yukiful.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

2019年 09月 15日 ( 1 )

虹の向こうに

今週の月曜日、父が亡くなりました。

享年91歳。

90歳まで会社に通い、

一年間で完璧に身辺整理をし、

4ヶ月の闘病生活を経て旅立ちました。




父が体調不良を訴えたのは、私がランタンフェスティバルから帰ってきて3日後のことでした。

もしあと一週間早かったら、ツアーはできなかったかもしれません。

私の帰りを待っていてくれたのかなぁ?

そう思えてなりません。
a0140305_23374165.jpg
父が最初に入院したのは、唐人屋敷跡の近くにある病院で、

検査の結果は、末期がんという信じがたいものでした。


でも、見舞いの帰りに病院の周りをウロつく余裕はありました。

それくらい父は元気だったから。
a0140305_23215045.jpg
父は模範的な患者でした。

何一つ愚痴や文句を言わなかったし、

看護師さんやリハビリのスタッフさんともにこやかに談笑し、

父の病室からは笑い声が絶えませんでした。

a0140305_23154778.jpg
病状が落ち着くとリハビリがはじまりました。

自転車こぎ20分!

でも先生の診断は余命数ヶ月・・・

おーい、もうそんな状況じゃないと思うんだけど。

そんな父を、母は涙を浮かべながら見ていました。


しばらくすると、家族にとって大きな壁にぶちあたりました。

父に告知するか否か?

でも、今はどんなに深刻な病状でも告知は普通のことなんですね。

先生から父に説明があり、それを聞いて父は涙をこぼしたそうです。

(母だけが立ち合いました。)

告知の翌日、病院に向かう足がどれほど重かったことか・・・

しかしミラクル!

父は前日の先生の話をすっかり忘れていたのです。

痴ほうはありませんでしたし、頭はしっかりしてたのですが・・・

なぜか先生の話だけが父の頭から消えちゃったという。

そして母は二度目の告知はしない、と決めました。


父は身体が回復したと思い、先生や看護師さんたちににこやかに挨拶をして病院を去りました。


a0140305_23154991.jpg
退院後は、主治医をペインクリニックの先生にお願いしました。

週3回の往診を受けながら、父はいつもの生活に戻りました。

ペインクリニックの先生は、何かあれば24時間電話一本でかけつけてくださいます。

ありがたい!


父にとって(いえ誰でもそうでしょうけど・・・)「自宅」は何よりの薬です。

父の顔色はみるみる良くなり、時にはお酒も飲むようになりました。

そして、遠くにすむ親族が、かわるがわる見舞いにくるので

実家はいつも賑やかでした。

a0140305_23362082.jpg
父の最後の幸せな時間は、ちょうど紫陽花の季節だったと思います。
a0140305_23155500.jpg
7月には父の91歳の誕生日を祝うことができました。

でも、だんだん疲れやすくなったようで、横になっている時間が長くなってきました。

大阪からきた弟に「今度会う時はもっと元気になってお酒ばいっぱい飲みたかばい」と話したそうです。
a0140305_23173267.jpg
父を桃渓(ももたに)橋の近くにあるペインクリニックに連れていったのは8月の始めでした。

父を家で看取りたいという気持ちはやまやまでしたが、

看病している母の体力が続かなくなってきたのです。

母は自分の体調のことを父に話し「パパ、ごめんね」と言ってホスピスに行く父を着替えさせました。

でも、父の頭には母の話が入っておらず、なぜ介護タクシーに乗せられたのか?

理解できないようでした。

a0140305_23270405.jpg

父がお世話になったのは「ホームホスピス」というところで

看護師さんや介護士さんがおられますが、病室ではなく貸し部屋で

家族が泊まってもいいし、外出も自由、お酒もOK、というところです。

でも、家が大好きだった父は、ここにきてガクンと体力が落ちていきました。

家に帰りたい!

父の悲痛な思いがひしひしと伝わってくるので、父を置いて帰る時は本当に気が重く・・・

父が眠ってからこそっと帰るようになりました。


何よりありがたかったのは、父が苦しまなかったことです。

ペインクリニックですから、痛みに関しては専門です。

素人なのでよくわかりませんが、麻薬シールを身体にはって痛みを和らいでいたそうです。

そして点滴などの延命治療はいっさい無し。

癌なので最期は痩せ細っていきましたが、

人は枯れ枝のように散っていくのが、

一番自然な死に方だそうです。

先生の話を聞くと「父は最期まで生き抜いて散った」という気がします。



5月、6月は福岡と長崎を行ったり来たり、

そして7月に入ってからはほとんど長崎で過ごし、週末だけ福岡に戻るという生活が続いていました。

でも、先週の金曜日、とうとう帰れなくなりました。

「ご主人を家に連れて帰るなら今ですよ」と先生から告げられ、

母は「連れて帰ります」とキッパリ即答しました。
a0140305_23290371.jpg
ここで2つ目のミラクル!

父を乗せた車がペインクリニックを出た瞬間、

晴れているにもかかわらずサーッと雨が降りだしたのです。

父が通る道を洗いきよめるかのごとく降り、父を乗せた車が家に到着するやいなや雨はピタリとやみました。

この時、空に虹がかかりました。

虹の橋は天まで伸びているのかなぁと。

a0140305_01303355.jpg
父の最後の帰宅を聞いて家族が次々と帰ってきました。

寝ている父のそばでみんなでお酒も飲みました。

不謹慎と思われるかもしれませんが、

メソメソ泣いているよりも明るく送り出す方が、父の最期に似合っている気がしました。

父の顔を時々のぞきながら、心の準備をする時間でした。
a0140305_01303522.jpg
お夕飯は皿うどんです。

これで5人分! これを二皿!

こんなにたくさん身内が集まる機会はそうそうありません。
a0140305_03274210.jpg
そして最後のミラクル!

「休めるうちに休んでおくように」と弟にさとされ、早めに休んでいた母でしたが、

夜の11時半を過ぎた頃、

突然寝室から出てきて父の元へ駆け寄りました。

そして「パパ、パパ・・・」と何度も父を呼びました。

父が息をひきとったのはそれからまもなく。

静かな静かな最期でした。

母はなぜ最期の時がわかったのか?

とても不思議でなりません。
a0140305_23303668.jpg
父は、母と4人の子どもと11人の孫と4人の曾孫をおいて逝ってしまいました。

明るくて、お酒が大好きで、研究熱心だった父。

時間のある時はいつも何かを書いていました。

私がブログを書いているのは父の遺伝子かなぁ?


青春時代は志願兵として戦地に赴き、辛い時代を過ごしました。

晩年は戦争で亡くなった戦友たちを弔うために、何度も旅行に行きました。

最後の旅行は今年の3月、つい数か月前のことなのに・・・

出棺の時は「同期の桜」で見送りました。

a0140305_23303818.jpg
父はとてもオシャレでした。

父のクローゼットは「すばらしい!」くらい片付いています。

残念ながら、私はあの几帳面さを受け継いでいませんが・・・


葬儀の前、母は父のネクタイピンを7人の男の子の孫に形見分けし、
a0140305_02512237.jpg
父のネクタイピンを胸に7人の孫とうちの娘婿で父の棺を運びました。
a0140305_23324986.jpg
告別式ではいっぱい泣いたけど、御斎の席ではみんなの笑顔が戻りました。

(父の遺影と同じポーズをしています。)
a0140305_02502292.jpg
おとうさんも一緒に飲んでいるよね?
a0140305_23344546.jpg
父が好きだったニュー長崎ホテルの桃林からの夜景
a0140305_23404974.jpg
そして、何度見たかわからない高速道路から見える大村湾の夕陽


寂しさはこれからじわじわと湧いてくるのかな?

父の娘で幸せだったと思います。

今日は初七日です。




by yukiful-xmas | 2019-09-15 07:37 | 長崎 | Comments(14)