Yucky's Tapestry

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2019年 09月 14日 ( 1 )

長崎をさるく ③唐人屋敷のお堂巡り

唐人屋敷跡の続きです。


寛永12年(1635)から中国との貿易を独占的に行っていた長崎港。

来航した唐人(中国人)は、はじめ市内のあちこちに散在していましたが、

密貿易が増加したため、幕府は唐人達を収容する唐人屋敷を建設しました。(1689年

面積は出島の約2倍あり、2千人を収容できる規模がありました。

唐人たちは厳重なチェックを受けた後、手回り品のみで入館させられ、

帰港の日までここで生活していたといいます。


その後、1784年の大火で全焼、1859年の開国後に廃屋と化してしまいますが、

現在は4つのお堂だけが修復されて残っています。
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路地を歩いていると突然「中国」が現れるんですよね。


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①土神堂(どじんどう)

1691年、唐人屋敷の中で最初に建てられました。

土神様は、土地や家を守り、豊作、金儲け、治病の神様として、

中国古来から広く信仰されている神様です。
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うちのお墓👆もそうなんですが、

長崎のお墓には墓石の横に小さな「土神様(つちがみさま)」が祀ってあります。


他にも、お盆にお墓で花火をする風習、精霊流し(特に爆竹)、ペーロン、龍踊りなど

どれも唐人屋敷の中国人が長崎に伝えたものといえるでしょう。

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②天后堂(てんこうどう)

海の女神 媽祖(まそ)様を祀ってあります。
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航海の安全を祈るために、南京地方の船主たちのよって建てられたお堂で(1736年)

航海の時は媽祖像を船内に、上陸したら天后堂に祀っていました。

その時の様子は、ランタンフェスティバルの時に「媽祖行列」として再現されています。

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長崎出身の政治家、故西岡武夫さんのご自宅(石塀)の奥にあるのが・・・

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③観音堂

1737年に福建出身の唐船主によって建立されたと言われています。

唐人屋敷は1784年の大火事でほとんど全焼していますが

アーチ型の石門は当時のものとみられています。

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アーチ型の屋根が特徴的な煉瓦の建物。
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右側には「 観音菩薩 」、左側には商売繁盛の神様「関帝」が祀ってあります。
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ビルに挟まれた階段を上ったところにあるのが
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④福建会館

唐人屋敷が解体されたのち、1868年に福建省南部出身の貿易商たちの会所として建設されました。

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このお堂にも媽祖様が祀られています。


私が通った高校はこの坂の上にあったのですが、そういえば中国籍の同級生が何人もいたなぁと。


また、子どものころ、中国人のことを「あちゃさん」と呼んでいました。

あちら方から来た人=あちらさん が語源と言われ、親しみを込めた呼び方ですが、

今の若い世代には通じるかどうか?



あと、この近くに中華街がありますが、そこは元々唐人たちの倉庫街だったところです。

今は再び中国人(観光客)が帰ってきて賑わっています。105.png



長崎に残る小さな中国、

なかなかおもしろかったです。101.png

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by yukiful-xmas | 2019-09-14 09:32 | 長崎 | Comments(0)