村に入る前に、ちょびっとだけ良洞村の説明を・・・
良洞村は、慶州市内から約20キロ離れた雪蒼山(ソルチャンサン)の麓に広がる村で、2010年の夏に、ユネスコから安東河回村と共に世界遺産として登録されています。
ここはかつて両班(ヤンバン=高麗、李朝時代の特権的な身分階級)たちが住んだ村で、全国でも優秀な人材を輩出する村として名を轟かせました。 民俗村としての保存状態もたいへん素晴らしいため、数々の建造物が文化財指定を受けています。 また、李氏朝鮮時代の儒教思想や古くからの慣習が今も受け継がれている村として高く評価されています。 (例によって、ネットからパクッとパクリ・・・ ^^;)
これが、村の全体図。(あるサイトよりお借りしてます。
) 雪蒼山(ソルチャンサ)から伸びる4本の尾根と谷に家屋が建ち並んでいるため、村の入口からは村全体を見渡すことはできません。 現地にいてもどれくらいの広さなのか、想像がつかない・・・。
バスを降りると、駐車場の向こうに村が見えました。
地図の右下、「村の入口」の文字のところがバス停です。
右下の隅っこにあるのが小学校、その左肩の畑みたいなところが駐車場になっています。
案内所でさっそく地図をもらいました。
帰りに立ち寄った時には、日本語の堪能な男性スタッフがいて、詳しい説明が書いてある日本語の冊子もいただきました。
村に入る前に欲しかったよ~。 (>_<)
いよいよ村へ入っていきます。
観稼亭(クァンカジョン) 宝物第442号 朝鮮時代の名臣・孫仲暾(ソン・ジュンドン、1463-1529)が住んでいた屋敷。 瓦葺の屋根は両班の家の象徴です。 左の部屋はサランチェと呼ばれ、家長の男性が暮らす部屋兼応接間(冬は寒くないのかなぁ? (・・? )、右側の部屋はアンチェ(母屋)と呼ばれる部屋。
車と家がなんともミスマッチな感じですが、ここに住むには車がないと・・・ ^^;
↑ 車があるおうちの前はこのように舗装してあるのですが・・・
← まだまだこんな道もたくさん残っていました。
良洞村へは、歩きやすい靴で行くことをおススメします。^^;
香壇(ヒャンダン) 宝物412号 東方五賢の1人李彦迪(イ・オンジョク)のために、王・中宗(1488-1544)が建てたもの。 村で一番目立つお屋敷でした。 やっぱり両班の家は風格がありますね~。
ほとんどの韓屋に現在も人が暮らしているため、中に入ることはできません。 文化財に指定されている建築物の前には、スピーカーが設置されており、5か国語で解説を聞くことができます。 でも、聞いたけど何が何だか・・・^^;
さらに村の奥へと進むと・・・もうそこは自然のまま、手つかずの森の中・・・鳥のさえずりだけが聞こえてきます。 あまりにも気持ちが良くて、写真撮り忘れ。 ^^; これは、おっ、いい感じの塀がある~って撮った1枚。
↑ は、ペクスク(鶏のお鍋)やククス(うどん)が食べれるお食事処。 食堂というよりは、普通の民家が食事を提供してくれる感じです。
村の中は傾斜が多く、高台からは、藁ぶきや瓦ぶきの屋根が見渡せます。
書百堂(ソベッタン)重要民俗資料第23号 孫昭(ソン・ソ)が建てた月城孫氏の宗家。 「書百堂」とは一日に「忍」の字を百回書くという意味だそうです。
ここの庭にあったのが、樹齢500年以上のイブキ(慶尚北道記念物第8号)。
あまりに大きくて、カメラに収まりきれませんでした。
500年の威厳と風格。
圧倒されました。
歴史の中に日常があり、その日常が歴史を刻んでいく・・・
山を下って川沿いに来ると、藁ぶき屋根の家が目立ってきます。
宗家や瓦の屋敷(つまり、両班の屋敷)のほとんどが高台に位置し、藁屋(庶民の家)は平地に位置しているのです。
心水亭(シムスジョン)重要民俗資料第81号 村に流れる小川をはさんだ反対側にも見どころがありました。 兄の出世のため、完職に就かず老母を扶養して、村の人々に尊敬された李彦活のために建てられた亭。
ぐるりと塀が張り巡らされていました。 (アレ~、私っていつから塀フリークになったんだぁ!? (+o+) )
今回は、村の名所を中心にレポりました。
良洞村、もう少しお付き合い下さいませ!