ツアー2日目は、百済最後の都市「扶余(プヨ))を巡ります。
当初、都がおかれた順番で、公州から扶余へ行く予定でしたが、
出発前の大雨の影響で順番が逆になってしまいました。

朝ご飯は益山にある全州現代屋 益山於陽店 (전주현대옥 익산어양점)で
コンナムルクッパ(豆もやしのクッパ)を。
コンナムルクッパといえば全州!
そっか、益山は全州と同じ全羅北道にあるんだった!
食事を済ませ、益山から扶余に移動しました。
約1時間のバスの旅です。

到着したのは扶蘇山城(부소산성)
王宮の後ろに築かれた山城で、普段は王宮の後苑として、
敵が攻めて来た際には防衛施設や避難場所として利用されていました。
百済が滅亡する際には、多くの王宮の人々が逃げ込み、最後の砦となりました。

扶蘇山城に入るルートは2つ、
北側から遊覧船で川を渡って入る方法と、南側から歩いて登る方法です。
てっきり船で行くものと高をくくっていたら、まさかの歩くコース! マ~ジ~ッ!?

真夏の炎天下、木陰でも滝汗・・・
このへんに城壁があったはずなんだけど~、と探す余裕もなくひたすら歩く。
亡くなった宮女たちを追慕するために建てられた東屋の百花亭や

皐蘭寺(コランサ)を経て

帰りは遊覧船に乗ることになりました。
よがった~~!

大雨の後のせいか川の水が茶色く濁っています。

途中、落花岩(낙화암/ナックヮアム)が見えました。
わかりにくいですが、〇の中に「落花岩」と書かれています。
百済が新羅と唐の連合軍に追い詰められた際、
3000人もの宮女が貞節を守るために白馬江に身を投げた場所です。
宮女たちが落ちていく姿がヒラヒラと舞いおちる花のように見えたことから
「落花岩」という名がついたそうで・・・
想像しただけでも胸が痛みます。
お昼ご飯は「百済の家(백제의집)」で豚プルコギの定食を。
蓮の葉ご飯も登場!
扶余ではこれを食べないと。

午後はもう一つの世界遺産 定林寺址(정림사지)へ。
中国から伝わった仏教は百済の時代に発展し、扶余にはたくさんのお寺が建てられました。
その中でも街中にある定林寺は、中心的な寺院として栄えていました。
百済が滅びる際、扶余の街は延々7日間も燃え続けたそうで
全てが灰になるなか、この石塔だけが形をとどめました。
表面の黒いすすが火事の大きさを物語っています。

定林寺址石仏坐像(정림사지석불좌상)
ここに来たら会いたくなるのがこの石仏さま。
石塔の後ろの拝殿の中におられます。
ぜっぺき頭は風化によるもの、ユーモラスで心がなごみます。

隣接する定林寺址博物館(정림사지박물관)
百済の仏教文化や定林寺の歴史を学んだところで・・・

メンバーから「カフェに行きたい!」とリクエストあり、
急遽こちらで一休みすることになりました。
数年前に扶余に泊まった時、友達とカフェを探しまわったことがあるのですが、
こんなおしゃれなカフェは皆無でした。
扶余も進化したなぁ。
定林寺址のすぐ近く、米倉庫をリノベした
G340というカフェでした。
そして、扶余のオオトリは国立扶余博物館
の、コレ ↓

百済金銅大香炉
国宝です。
1993年に陵山(ヌンサン)里古墳群の泥水の中から発見されました。
昔は悪い気運をなくすために香を焚いたそうですが、
てっぺんには鳳凰、そして楽器を演奏する五楽士など細かい細工がほどこされ、
神秘的な雰囲気を醸し出しています。
ガイドのゲタさんは
「百済の最高芸術品というだけではなく国の宝物です!」と褒めたたえ、
扶蘇山城で偶然会った解説士のツルモトさんは、
「百済が滅亡する際、これだけは敵にとられてなるものか!
と王宮の誰かが命がけで持って逃げたはずなんです。だから、こうして残っているのです」
と話してくれました。
とにかく大人気、人が写りこまない写真を撮るのに一苦労でした。
他にも・・・

瑞山龍賢里磨崖如來三尊像

国宝大288号 百済昌王銘石造舎利龕

そしてオマルも、
扶余の博物館は見どころ満載です。
扶余の視察を終えて、公州に移動しま~す。